〜「明治天皇すり替え」を未然に防いだ鍋島藩の神なる活躍〜
「田布施(たぶせ)システム」という言葉をご存じでしょうか?明治維新以降、日本を動かす政治家は、山口県にある小さな町である「田布施町から輩出されるシステムが構築されている」とされるものです。この説の背景にあるのは、長州藩が明治天皇を、本来の皇太子ではなく、田布施出身のある志士とすり替えたとする「明治天皇すり替え説」です。
では、「万世一系(ばんせいいっけい)の天皇の血筋」は、明治維新とともに途切れ、天皇は「神の力」を宿さなくなったのか?長年、論争の的となった「明治天皇すり替え説」の真相を理論物理学者の保江邦夫さんが、ここに明かします。
保江さんが語る「天皇の神秘なる霊力」とはどのようなものなのか。また、他国にはない、「君民一体」とはどのようなものなのか。はるか縄文時代に原点を見る社会の在り方を見ていきましょう。
お話◎保江邦夫さん 取材・文・構成◎編集部(町田 光)
*この記事は、当初予定されていた保江さんの連載「世界をゆるがす神実の日本史と天皇家の秘密」の第二話・第三話をまとめて特集内でご紹介するものです。
目 次
理学博士、
ノートルダム清心
女子大学名誉教授
保江邦夫さん
Kunio Yasue
Profile
やすえくにお◎理論物理学者。ジュネーブ大学理論物理学科講師の後、ノートルダム清心女子大学教授職に就き、現在は名誉教授。最新の素領域理論を研究する世界的な第一人者でありながら、大東流合気柔術を経て、キリスト伝来の活人術「冠光寺眞法」を継承。陰陽師の家系で、伯家神道「祝之神事」の継承者でもある。映像記憶という特殊な能力の持ち主で、宇宙やスピリチュアルの造詣も深い。近著は、矢作直樹さん、迫恭一郎さんとの共著『からだという神様』(ビオ・マガジン)ほか多数。
Part.1
明治天皇の皇位と天皇家の霊力はこうして守られた
明治維新の真の立役者は、薩長連合ではなく「鍋島藩」
日本は、初代神武天皇が即位されて以来、2679年もの永きにわたって、万世一系※の血筋を絶やす
ことなく継続してきた、世界に類を見ない国です。そして私たち国民は、長たる天皇陛下を戦前までは、現人神(あらひとがみ)として尊敬申しあげてきたわけです。
現人神とは、「人間の姿をして現われた神」であり、神たる力を宿している。だからこそ、公家を筆頭に、さまざまな氏族の人たちや、あらゆる宗教や密教、秘教・秘儀に通ずる人々や組織が影日向になり、これまでもずっと、天皇と天皇家をお守りしてきているのです。
その一方で、天皇を中心にした神国日本の国体は、これまで何度も崩壊の危機に瀕してきました。特に、今上陛下につながる皇位継承の流れにおいて、最大の危機が訪れたのは、明治天皇誕生に至るまでの、明治維新前夜のことです。
この時期の真実について、まずはお伝えしていきましょう。明治維新の立役者といえば、坂本龍馬や長州藩・薩摩藩とその志士たちを思い浮かべる人がほとんどでしょう。しかし、事実はまったく違います。
結論からいえば、佐賀県の「鍋島藩と鍋島家の人々」こそが、真の立役者であり、万世一系の天皇の血筋を死守した人たちなのです。もし鍋島藩が関与しなければ、明治天皇はまったく血筋の違う一般人がなりすましていたのです。
なぜかといえば、薩長連合と彼らを支援していた大英帝国には、日本の政治を牛耳りたいという共通の野心がありました。そのため、自分たちの言いなりになる傀儡(かいらい)天皇、つまり「自由に操れる人物を天皇に仕立てる」ことを企てたのです。この薩長と英国の極秘計画を知り、阻止へと動いたのが鍋島藩でした。
皇太子を救い出した高濱清七郎という伯家神官
そもそも鍋島藩は、佐賀港が海外貿易の要諦だったことから、英国とも深いパイプをもっていました。そこで英国の味方のふりをして、実際には、皇位継承が正しく行われるよう、裏で手配していたわけです。
そのからくりは、ほとんど世に知られていないので説明しましょう。山口県に、田布施という町があり
ます。現在の安倍首相を筆頭に、歴代の政財官界の大物を輩出していることで知られている土地です。明治天皇のすり替えを目論んだ長州藩は、田布施に集まった若者の中から大室寅之祐という青年を選び、替え玉候補にしていました。
ただ実際には、この青年でなくとも、田布施出身なら誰でもよかったのです。そこで鍋島藩は、継承者である孝明天皇の皇太子を御所から脱出させて、田布施へと送りこむのです。その大役を担ったのが、白川伯王家(上に説明)が継承する伯家神道の神官、高濱清七郎という人物でした。ちなみに、白川家も鍋島家の血筋です。
高濱はまず、幽閉状態にあった皇太子を、自分の小間使いに仕立て、御所から脱出させた後、岡山にある高濱の実家でしばらく皇太子をかくまい、田布施に入るのです。こうして、皇太子は田布施に集ま
る若者の1人となり、その後、長崎に出入りする、若き幕末の志士たちの仲間入りを果たします。
そして鍋島藩は、長州藩に圧力を掛けることで、大室寅之祐ではなく、本来の皇太子を替え玉として選ばせたのです。薩長および英国は、思惑どおりに田布施出身の若者を明治天皇にしたと喜ぶわけですが、じつは、鍋島藩がしっかりと正統な皇太子を天皇に即位させていたという、高度なトリックでした。
御所に居るはずの皇太子が写った「フルベッキと塾生」
この鍋島藩のトリックが史実だったことを証明する、決定的な証拠のひとつが、オランダ人宣教師フル
ベッキと勤王の志士たちが1枚の写真に納まった、「フルベッキと塾生たち」と題された1枚の写真です(P16)。
撮影時期は慶応元年(1865年)とも、明治元年( 1868年)頃ともいわれる、とても貴重な記録で、長崎の写真スタジオで撮影されたものです。しかし、昭和49年に世に出るや、この写真にはすぐに偽物の烙印が押され、「佐賀藩の学生たち」と改題までされました。
その理由は、ここに写ってはいけない人物、そう、御所に居るはずの若き日の皇太子が写っているからです。もちろん、本物の皇太子です。もうひとつの証拠は、明治天皇が即位されてまもなくのこと、明治新政府の主要な幹部たちに対して、「清七郎はどこへ行った? 」「清七郎を呼べ! 」と、陛下が言い続けられたことが記録に残されています。
明治天皇にとって高濱は、自分の命を助け無事に天皇に即位させてくれた恩人で、育ての親も同然なのだから側近として側に置きたかった。もし、明治天皇が替え玉なら、高濱のことなどは知るはずはありませんので、このことも、明治天皇が正統な皇太子だったことの、確固たる証となるわけです。
天皇を“現人神”にする「祝之神事」という秘儀
明治天皇が絶大な信頼を寄せた高濱には、陛下を守ることのほかにも、もうひとつ、とても重要な使命がありました。それが伯家神道に代々継承される、「祝之神事(はふりのしんじ)」という秘儀を授けることでした。
「祝之神事」は、皇太子が天皇に即位する前に必ずお受けになる秘儀で、これにより陛下に「神たる霊力」が宿るとされる、とても重要な御神事です。そこで高濱は、明治天皇即位までのどこかの段階で、皇太子に「祝之神事」を授けたのです。こうして与えられたミッションをすべて果たした高濱と白川家、そして伯家神道でしたが、明治天皇即位後は、新政府の「天皇から霊力を排除したい」という思惑から、天皇家からは遠ざけられてしまい、高濱も晴れて即位した明治天皇との再会は果たせませんでした。
これはつまり、大正天皇以降において、伝統の秘儀「祝之神事」が、天皇から遠ざけられてしまったことを意味します。しかし、鍋島家もさるもので、天皇の霊力を保持すべく布石を打つのです。
昭和天皇の祖母、野間幾子は明治を代表するサイキック
大正天皇の代となり、皇后には、鍋島家とつながる九条家出身の九条節子(さだこ)さまが選ばれ、貞明皇后となります。節子さまの生母は、九条道孝の正室ではなく、野間幾子さんという側室です。側室のお子が皇后になるというのですから、そこにはちゃんとした理由があります。
じつは野間さんは、明治時代随一の霊能者、超能力者のお一人でした。霊能力や超能力は、隔世遺伝によって顕著に伝承されます。つまり、野間さんの孫にあたる、昭和天皇にその霊力・超能力がちゃんと引き継がれるよう、密かに側室選びがなされていたわけです。
こうしたしくみづくりはすべて、鍋島家が行っています。明治天皇以降、皇太后も側室もすべて一条家、九条家、柳原家など、鍋島家ゆかりの女性たちから選ばれています。民間から嫁がれた美智子さまも、雅子さまもまたしかりです(P18家系図)。
ここで、このように天皇家に尽くす鍋島家のルーツを明かせば、たどり着くのは藤原氏、賀茂氏です。日本の政(まつりごと)や神社・神道の歴史を陰日向で司ってきた藤原氏、賀茂氏の血統が、今日に至るまで、天皇家を支えているわけです。
鍋島家こそいうなれば、現代の八咫烏、という見方もできるでしょう。では次に、野間さんの力を継承した昭和天皇の霊力についてお伝えしましょう。
Part.2
昭和天皇のずば抜けた霊力と秘儀「祝之神事」の成功
東京への原爆投下を狙ったB29爆撃機が忽然と消える
時は第二次大戦中の末期、いよいよ日本に原爆が投下されようとしていた頃のことです。史実が語るように広島、長崎への投下は避けられませんでしたが、ひとつだけ、投下を回避できた場所がありました。それが首都・東京への原爆投下でした。
アメリカは当初より、日本をいちばん弱体化させられる首都・東京を原爆の投下標的にしていたのです。原爆を積んだアメリカの戦略爆撃機B29が、テニアン島から東京に向かって飛び立ったという情報をつかんだのは、陸軍大将の東条英機でした。
万が一、東京に新型爆弾が落とされては、陛下ばかりか日本も守れないと判断した東条は、陛下に謁見して事情を説明し、とんでもないお願いをします。
それが「原爆を積んだB29を1機消してほしい」というものでした。一般人からすればあまりに荒唐
無稽な話。ですが、東条のような要人は、陛下の霊力を知っていたのでしょう。陛下は、東京の民と日本を守るために、聖徳太子に起源をもつとされる秘伝の祝詞が書かれた巻物をお開きになり、その祝詞を奏上されたそうです。
このとき、はるか遠くの太平洋上では、原爆初号機を搭載したB29が、忽然と消えてしまいます。そのことを、護衛していた米軍戦闘機のパイロット数十名が目撃し、当然ながら米軍内では大問題へと発展しますが、そのことは後述します。ではなぜ、広島と長崎が守れなかったのかと疑問が湧くことでしょう。
じつは、こうした力を使うには、相応のエネルギーが必要なのです。陛下は、東京を守ったのと引き換えに、この後1ヵ月以上も床に伏せられ、意識さえも不明の状態となってしまいます。そしてその間に、広島と長崎の悲劇が起こってしまうわけです。
マッカーサーに秘儀を教え日本を守った昭和天皇
こうして終戦へとこぎつけたアメリカは、消えたB 29 の謎を、CIAを使って徹底的に調べさせていました。その結果、どうやら天皇が関与しているらしいと突き止めます。そこで終戦を迎えるとすぐさま、占領軍最高司令部GHQのマッカーサー元帥が陛下を呼び出し、二者会談が行われたことは、皆さんもご存じでしょう。
その場でマッカーサーは陛下に「いったいあなたは、どうやってB29を消したのですか? 」と問い詰めます。堅く口を閉ざされていた陛下に対して、マッカーサーは交換条件を提示します。それが戦後の日本の処遇です。このときすでにヤルタ会談で、日本をアメリカ、イギリス、ロシア、中国の4ヵ国が分割統治すること、いわば事実上の日本解体が、決まっていたそうです。
しかしマッカーサーは、もし陛下が真実を明かしてくれるのであれば、その決定を反故(ほご)にして、「アメリカが一括統治をして、すみやかに日本を独立させる」と約束したのです。日本の国体と国民を守るため陛下は、自分が行った秘儀をマッカーサーにお伝えになったそうです。
じつは、この話を私に教えてくれた方は、天皇家にも近い方で、最初は「他言無用でお願いしたい」と言われていました。しかし最近になって「そろそろ陛下の蔭のご努力を、国民が知るべき時期が来たかと思います」と許可をいただいたため、このように皆さんにもお伝えしているのです。
第三次世界大戦を回避した「不動金縛りの術」
昭和天皇はその霊力を、もう一度だけ使われたことがあります。依頼主はアメリカでした。それが
1976年に起こった、ソ連邦の最新鋭ジェット戦闘機ミグ25の函館空港への強行着陸、いわゆる「ベレンコ中尉亡命事件」です。
どういう事件だったかというと、ベトナム戦争只中のこの時期、ミグ25があまりに高性能だったため、ニクソン大統領が昭和天皇の霊力を頼ってきたのです。「このままでは東西冷戦の均衡が破れ、第三次大戦にもつながりかねない。そこで世界平和のためにも、ミグ25を一機捕獲してほしい」と。
陛下は当初、自分にはもはやかつての霊力はないと断りますが、それでもアメリカは引きません。そこで陛下の側近がリサーチした末、霊力の助っ人として選んだのが、阿闍梨(あじゃり)として真言密教の法力をお持ちの中村公隆和尚という方でした。
すぐさま、高松宮殿下が皇宮警察を引き連れて高野山へ赴き、中村氏を皇居にお連れになります。そして中村氏の法力によって、ご自分が現人神であるという意識を再び取り戻された陛下は、シベリア上空でミグ25の演習飛行をしていたソ連のベレンコ中尉に対して、「不動金縛りの術」と呼ばれる秘術をおかけになったそうです。
この術により、ベレンコ中尉の意思とは関係なく、操縦桿が勝手に日本の方向に向かってしまい、前述の亡命事件となるわけです。アメリカは日本経由でミグ25を手にし、性能を詳しく調べて東西の軍事的均衡を保ちます。陛下はこうして、神秘なる霊力によって、世界平和を守ることに貢献したのです。
私にこの秘話を詳細に教えてくださったのは、当事者だった中村公隆和尚その方とお弟子さんですので、このSFのようなエピソードもまた、まぎれもない事実なのです。
百年の期限内に「祝之神事」が陛下に届いた
このように、奇跡のような力を発揮された昭和天皇の、その孫にあたるのが今上陛下です。当然ながら、野間さんに端を発する、隔世遺伝による霊力の継承があっても不思議ではありません。
新型コロナ禍において、日本の感染率・死亡率が低いことの理由のひとつは、今上陛下の祈りの力の賜物ではないかと私は思っています。そして今上陛下には、大正天皇以降、途切れていた「祝之神事」が届けられたことも、この場をもってお伝えしたいと思います。
その詳細な経緯は割愛しますが、誠に不思議な導きにより、2012年4月8日、不肖ながらも私は、ある巫女さまのもとで謹んで洗礼を受けることになり、伯家神道に伝わる「祝之神事」の正当継承者のひとりとなることを許されたのです。
なぜ私がそのような大役を担ったかと申しますと、白川家に伝わるある予言が大いに関係していました。その予言によれば、「祝之神事」の効力は、皇太子に継承されなければ「百年間で途切れてしまう」そうです。そして、陛下が霊力を失い、国体の維持さえも危ぶまれるというのです。
そして、最後に秘儀を授けられた明治天皇から数えると、その効力切れ期限を迎えるのが2012年でした。そこで、代理として私が授かり、何とか今上天皇へと秘儀をお渡しすることが、私の使命となったのです。
2012年にこの秘儀を受けて以降、今上天皇にいったいどうお渡しできるのか、ずっと暗中模索を続けてきました。結果として、2019年の11月の末、大嘗祭後とはなりましたが、さまざまな方々の尽力もあって、何とか今上天皇のもとへ「祝之神事」をお届けさせていただくことができたのです。
約7年間背負っていた大きな責任を果たして、ホッとしていた私ですが、さらなる縁のめぐりあわせにより、すぐに次なる使命に目覚めます。それが、小泉大志命という剣聖が行っていた、「祓(はら)い太刀(たち)」を継承することでした。
Part.3
天皇と国を守った「祓い太刀」、そして縄文の「祭り=政」への回帰
皇居空襲ルートに入ったB29 をワープさせた「祓い太刀」
「祝之神事」を継承して以降、私に起こったいちばん大きな変化は、人との出会いや縁が、それまで以上に有機的に起こるようになり、この宇宙のしくみや神の世界について、さまざまに私に教えてくれるようになったことです。
『天皇防護 小泉太志命(こいずみたいしめい) 祓い太刀の世界』(ヒカルランド)を上梓した、宮貞行氏との出会いもそのひとつでした。宮崎先生は私に、1日3万3千回、備前菊一文字の名刀を皇居の方
角に向かってふることで、昭和の時代の皇室にふりかかる魔や邪気、邪霊を祓っていた孤高の剣聖の存在を教えてくれました。
それが小泉太志命という人物です。その祓い太刀のパワーは強力で、皇居を襲いに来たと思しきB29を、まさに陛下同様に、異次元の彼方へと移動させてしまったそうです。宮崎先生はそして、「今上陛下にも、そのような陰の存在が居れば心強いのですが」と、さも私に「いかがですか? 」と言わんばかりに話します。
私は内心「ぜひ、やりましょう」と請け負いたかったのですが、それには備前菊一文字の名刀が必要で、私が手にするには高価過ぎることも知っていました。ところが、このエピソードをある場で私が公表すると、一人の女性が名乗り出てくれて、「家にある一刀をお使いください」と言われます。
そこで話を詳しくお伺いすると、その女性の実家の蔵には、その方のおじいさまが譲り受けた備前菊一文字の名刀が眠っているらしく、「陛下のため、日本のためにお使いくださるなら、祖父も本望でしょう」とおっしゃってくださったのです。
私は「それではぜひに」とそのお申し出をありがたくお受けすることにして、京都で秘儀を改めて行って自身を清めてから、改めてその女性とお会いして、くだんの名刀を譲っていただくことになったのです。こうしてまさに、神の采配とも思える「縁」に助けられた私は、さっそく「祓い太刀」の修行を開始しました。
シャンタンさんが教えてくれた縄文式ヒーリング
しかし、実践してみると、日に3万回はおろか、数回でさえ、全霊を込めた祓い太刀など振れない、と
いうことを、私は即座に身をもって知ります。それほどに体力、気力、霊力のすべてを消耗します。そして、続ければ続けるほど、日に日に体調も悪くなっていき、しまいには、寝こむようになってしまったのです。
どうやら、にわか剣聖を気取った私は、抱えきれないほどの魔や邪気を、知らぬまに受けてしまっていたようです。こうして、原因不明のだるさに悩んでいた私に、「会いたい」と連絡をくれた人がいました。それが瞑想家、ヒーラーとして著名な、シャンタンこと宮井陸郎さんという方でした。
シャンタンさんとは初対面で、いったいなぜ私に会いに来たのか、最初はさっぱり理解できませんでした。待ちあわせた最寄り駅でシャンタンさんを出迎えると、「少し散歩しよう」と言われ、その間ずっとシャンタンさんは、私の手を握り続けます。
いっさいの前置きがないままでしたので、私はもちろん戸惑いました。いい年の男がふたり、手を握り
あいながら歩いている姿は、決して美しくないだろうな、などと考えながらも、きっと何か目的があるに違いないと、その場はとにかく、シャンタンさんにお任せしていました。
もっと正直に言えば、もはや何かに抵抗する気力さえない、というのがその当時の私の、率直な心身の状態だったのです。しかし、「そろそろ終わるよ」と声をかけられ、散歩が終わる頃になって、私はとても驚きます。
なんと、原因不明の心身のだるさが、まさに嘘のように消えてしまっていたのです。すっかり気分が良くなってしまった私は、感激のあまりシャンタンさんをお酒の場に誘い、会いに来てくれた理由などを詳細に聞きました。
すると、「保江を癒しに行け」という啓示を受けたのだ、とシャンタンさんは教えてくれました。そこで、共通の知りあいを通してコンタクトしてきたのだと。私は、そんなはからいをしてくれた宇宙、そして、そのメッセージを素直にキャッチしてくれたシャンタンさんに、感謝の思いでいっぱいになり
ました。
さらにその翌日、シャンタンさんは、私の合気道の門下生の集まる道場にも来てくれて、私へのヒーリングの最終仕上げをしてくれました。それは、とてもユニークな方法です。
まず、私がうつぶせに寝ます。次に女性参加者全員が私の体に、思い思いの場所に手を当てます。さらにこんどは男性陣が、女性陣の背中に手を当てます。そして、全員が一斉に愛のエネルギーを、中心
にいる私に注ぐのです。
このヒーリング法が効果てきめんだったことはいうまでもなく、私は完全にもとの状態に戻ることができました。そしてシャンタンさんは私に、こう教えてくれました。「自分ひとりで何でもかんでも背負
おうとしてはいけません。
縄文時代からずっと私たち日本人は、みんなで一緒に天皇を支え、お守りしてきたのです。このヒーリングのように、一人ひとりが力を発揮して、天皇を中心にして輪(和)になって、みんなで力を合わせて、社会や国をつくっていくのです。それが縄文時代から続いている„祭り"であり„政"なのです」
と。
目覚めた一人ひとりがリーダーとなる時代へ
この言葉を聞いて以来、私は「自分ががんばろう」という発想をきっぱりとやめました。もはや一人ががんばる時代でも、大きな荷物を背負う時代でもないということが、はっきりとわかったからです。
私たちはいま、大きな時代の移行期にいます。これまでは、限られたリーダーが、多くの民を導く時代でした。しかし、これからは違います。一人ひとりが真実に目覚め、リーダーとなり、他者を尊重しながらつながりあい、ひとつになって、平和な社会、国、地球を創っていく時代なのです。
新型コロナ禍によって、世界中の人たちがこれまでの日常生活や経済活動をいったん停止させられたことは、そのことと無関係ではありません。この期間は、自分自身の生き方や価値観を見直すための猶予期間です。
すぐそこにあるアフターコロナの時代は、もはや以前のように、外のリーダーを頼る時代ではありません。私たち大和民族においては、縄文時代で行われていた「祭り=政」への回帰へと向かう時代でもあります。
縄文時代は、一人ひとりがパワーを発揮して、神たる霊力を授かる天皇を輪の中心にして、輪になって踊りながら祭りを楽しみ、それがそのまま政、つまり合議的に政治を決める場でもありました。政治的な権力を手にした一部の人が、私腹を肥やすだけの政治の時代は、もう終焉します。
ぜひ、皆さんも、意識を覚醒させ、内なる愛の力を目覚めさせて、一緒になって今上陛下をお守りし、周囲の人々を助け、この国と世界をより良いものにしていきましょう。