神につながる祖先を祀るとともに、星に祈りを捧げていた古代の人々。それが、神社の始まりですが、
富士山から見て鬼門(北東)の方角に位置する「杓子山」とその周辺には、上から見ると、なんと北斗七星を描く「天子七廟」があります。
そして、杓子山を登りながら下から順番にお参りすると、富士山の頂を間近に望む、時空を超えた「高天原」が開けるのです――。古代富士王朝の人々が大切にし、覚醒のために仕掛けた装置でもある「天子七廟」を、内なる北極星“アルカス”の導きによって探り当て、現代に復活させたのが、杓子山でゲストハウス「ピースワン」を営む伊藤 淳さんです。
編集部は今回、コノハナサクヤヒメが出産した場所でもあるというピースワンを訪れ、伊藤さんの素敵なお話をたっぷりと伺いました。古代縄文の人々や徐福は、どのように富士王朝を築いていったのか、
北斗七星の謎を解くことで、本当の歴史が浮かび上がってきます。
目次
1,病気をきっかけに霊性に目醒めた
2,北斗七星の天子七廟は北極星の富士山を指し示す
3,伊勢神宮にも北斗七星があった
4,シャーマン・徐じ ょふく福によって地上の北斗七星が描かれた
5,弥生人が渡来したことで縄文人は生き残れた
6,徐福の影武者が全国に存在した
7,ヤマトタケルによって富士王朝はなかったことに
8,七廟をめぐれば意識が覚醒するアセンションの仕掛け
9,富士王朝と大和王朝の結婚富士山は魂の写し鏡